既に開催の方向で関係各位に話を進めていたし、何より選手が試合を欲していた。国内大会にはなるけれど、やっぱり、やってあげたいと思って
今大会 (2021年) 開催への最大のモチベーションを、トーナメントディレクターの青山剛は、噛みしめるような言葉に込める。
開催の可否や方向性の決断など、大会の進む道を定めて”direct=導く“のが、ディレクターの役目。テニスの大会それぞれが有する特有の色は、ディレクターの理念や個性の投影だと言える。
世界が新型コロナウィルスの脅威に泡立つ昨年4月、青山氏は、例年10月に開催されている浜松ウィメンズオープンの、開催中止を公式に発表した。その当時、多くのスポーツ競技会やコンサートなども中止になっていたが、浜松大会開催までは半年ある。
「諦めるのが早すぎる!」
そんな声も、ソーシャルメディア等を介して寄せられた。
ただ、責任者であるトーナメントディレクターの立場からすれば、それは決して早いタイミングではない。
協賛集めは、4月にはスタートする。青山氏が危惧したのは、「お金だけ集めて、開催できないこと」だった。未知のウィルスとの戦いが、いつ、どのような形で収束するのかなど、専門家でも見当も付かなかった時分。オリンピック・パラリンピックの1年延期も決まる世の趨勢を見れば、国際大会を開けるかどうかは、自分たちの都合で決められることでもない。
「先延ばしするよりも、早めに決断する前例を作りたかった」
3月下旬の時点で、青山氏の心は既に決まる。関係者への報告や調整等も終え、最終的に発表したのは、その約2週間後だった。
大会中止を早めに決断した青山氏だが、その時から、翌年の大会開催に向けて、地固めすべく動きだす。
主催者として必要なのは、感染対策の経験と、その成功実績だ。そこで緊急事態宣言が明けた7月以降は、政府が定めたレギュレーションや防疫策に則って、小規模の市民大会やテニス関連イベントを実施した。
幸か不幸か、多くの公式試合が中止に追いやられたため、コートにはいくらでも空きがある。それら登壇者を失ったコートに試合を組み、プロ選手を招いたレッスン会やエキシビションなども開催していく中で、しみじみと実感したこと——それは、「多くの人が、テニスに飢えている」ことだった。地元や近郊のみならず、静岡東部や愛知県からもラケットを担いだ人々が足を運ぶ。
「テニスの火を消したくない」
改めて灯ったのは、すべての原点たる熱い思いだった。
かくして半年以上かけて積み上げた、感染予防策の経験と実績。それらを携え今年の春は、自信をもって開催に向け動き始めた。
「去年の7月からこれだけの試合やイベントを開催し、感染者は出していません」
協賛企業にそう解くと、快い賛同を得られた。
だがネックとなったのは、行政が制定する、入国者への隔離規定。ヨーロッパや北米では許されるアスリート特例が、日本では適応されない。その緩和がなければ、国際テニス連盟(ITF)からの承認が下りず、国際大会の開催は不可能だ。
結局青山氏は再び、中止か、あるいは国内賞金大会としての開催かの二者択一を迫られる。もっとも、自らが灯し続けてきた「テニスの火」に照らされた道は、後者以外にありえなかっただろう。
開催に向けて動き始めた時から既に、「観客を入れる」ことは決めていた。それこそが昨年7月から、1年以上かけて積み上げた実績の根幹だ。
ただ観客を入れるとなれば、感染対策はより強化しなくてはいけない。そのためにかかる資金も、当然必要になる。その経費を得るためにも、例年は無料にしていた観戦料を、今年は一部で取ることにした。
その一部とは、最も良い試合が組まれる二つのコート。人数をコントロールするためチケット販売は前売りのみとし、それも大会5日間の通し券に限定した。最安は1万円で、種々の特典がついたVIPシートの最高額は75,000円。合計で用意した60席のうち46席が売れ、1万円チケットは完売した。
これらコートサイドシートの購入者と、大会会場で行われるレッスン会の参加者には、2週間の検温ノルマを課している。また、有料コートに入れない観客のために、会場内に設置した100インチモニターでの試合の上映を決めた。
例年、気軽に足を運んでくださっていたファンの方には、「申し訳ない」との気持ちがある。同時に、観客を入れることに二の足を踏む大会に向け、「一つの成功例にしたい」とも青山氏は言った。
「お金を払ってくれる人も、これだけ居ましたよというのも示したい。この大会だけでやったのでは意味がない。この規模の大会でも、これだけのことができるよということを、他の大会に示したいんです」
灯し続けたテニスの火を、日本全国に広げたい——。
その起爆剤になることが、トーナメントディレクターの願いだ。