今はテニスが、好きになれていますか――?

 その問いに答えるより先に、顔中に広がる笑みが何より雄弁に解を語っていた。吉岡希紗は、現在プロ3年目。静岡県裾野市出身の25歳だ。

 吉岡が初めて浜松ウイメンズオープンに出たのは、“ひと昔”の時を遡る2015年。予選に出場し、その時は一回戦で敗退した。

 そこから彼女が重ねた本大会の出場回数は8を数える。高校生から大学生に、大学生からプロ選手へと、そのつど肩書きも変わっていった。

 スラリと伸びた171センチの長身同様に、まっすぐに歩んできたように見えるテニス街道。

ただ実は、「大学を出るころは、プロになることは考えていなかった」と明かした。

「肩のケガもあり、思うようなテニスができなかった。『もっと出来るのに……』という思いが強くて、テニスが嫌いになりかかっていたんです」

 3~4年前に時計の針を巻き戻し、吉岡が当時の思いを明かす。勝利を重んじ、ミスを減らすことが求められる学生テニスの風潮も、フラットの強打を武器とする吉岡が、ジレンマに陥った要因だった。

楽しいはずのテニスが、いつしか苦しいものとなったまま、近づいた卒業の日。

ただその頃から、「このまま辞めたら、悔いが残る。私だけ、テニスが嫌いになってやめたくない」との強い思いが胸を占めた。

彼女が言う「私だけ」は、家族との対比で出た言葉だ。吉岡家の人々は、父も母親も、そして兄もテニスが大好きなのだという。そんなテニス一家の末っ子にとって、テニスとは家族の絆でもあるのだろう。プロになり、テニスの楽しみを再発見したいという渇望の源泉には、そんなテニスの原体験があった。

 プロになってからは今も変わらず、群馬県のMAT高崎テニスクラブが拠点。世界40位の森田あゆみら多くのトッププロが輩出した名門であり、選手の持ち味を伸ばす指導法に定評がある。

 その新たな環境で、吉岡は再び長い左腕を伸び伸びと振り抜き、テニスの楽しみを知った。

冒頭の「今は、テニスが好きになれていますか?」の問いに、彼女は「はいっ!」と弾む声で答える。

「MATに行ってから、コーチのマサト(松田将十)さんには戦術を多く教えてもらっています。私はネットプレーの自信はあまり無かったんですが、マサトさんは『ボレーも打てる』と言ってくれるので、最近はやるようにしています」

 プレーに新たなオプションを加え、それら手持ちのカードの切り方を学ぶことで、ゲーム性の魅力も感じている様子。実際に今大会の初戦も、戦略の勝利だった。1回戦で対戦した第5シードのバック・ダヨンは、ミスの少ない試合巧者。ただバックはスライスが主体のため、第1セットの吉岡は、相手のバックにボールを集めた。ただそんな狙いは、相手も百も承知。前に出てもロブで抜かれ、思うように展開できなかった。

 そこで第2セットからは、まずは相手をフォアサイドに振るようにする。そこからバックに展開すると、ボレーで決られるようにもなった。試合中に情況を分析し、適応力を発揮しつかんだ逆転勝利。それらは吉岡が、「テニスが好き」と思えているからこそ、成された成長でもあるだろう。

 戦績という意味では、まだまだ満足は出来ていない。ここ最近は、「勝てそうで勝てない」試合が続いていたとも言う。

それでも本人の中では「ここを切り抜ければ、ポンポンと行けそうな感覚はある」と言う。キャリアの始まりの地とも言える浜松大会が、その転機となる可能性は、大いにある。

一番左が吉岡


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