雨、ボール、そして太陽
前日の夜から降り続いた雨は、晴れ間が覗く翌朝も、会場の砂入り人工芝を重く湿らせていた。
大会スーパーバイザーと審判団との間で、予定時刻に試合を始められるか、協議が行われる。
「選手たちは、何て言っているの?」
尋ねるスーパーバイザーに、決勝を戦う両選手に聞き取りした主審が答えた。
「選手たちは問題ないと言っている。むしろ、湿っていた方が良いと言っているくらいだよ」
その報告を聞いたスーパーバイザーは、「ならば予定通りに始めよう!」と安堵の笑い声をあげた。
午前11時——、各々がリクエストした入場曲に乗り、ファイナリストがコートに足を踏み入れる。強風にあおられて雲は高速で空を渡り、明るい太陽がコートを照らしていた。
「ボールがすごく重い」
試合が始まりラリーを交わすと早々に、清水綾乃は、いつもと異なるコンディションに気が付いていた。フェルトに覆われたテニスボールは、バウンドするごとに水を含む。長身のジョアナ・ガーランドが放つボールは、文字通り、物理的に重かった。
「思い切り振り抜いても、あまり飛ばない。相手のボールに押し切られて、全部サイドアウトになってしまう……」
加えてガーランドの高速サーブは、ことごとくコーナーに刺さる。ファーストサーブでのポイント獲得率100%を記録したガーランドが、6-2でセットを先取した。
太陽が高くなるにつれ、変わりゆくコートコンディション
やや一方的な展開に、第2シードの優勢は揺らぎないかに見えた、第1セット。
ただ清水のなかでは、セット終盤に向かうにつれ、手応えが生まれていた。
「0-4になった後は、ちゃんとラリーが出来ていた。内容的には、悪くない。セカンドセットは、最初のゲームが鍵になる」
清水がそう思えたのは、照り付ける太陽が、コートを急速に乾かしていたことも大きい。水分が飛べば、ボールが軽くなる。さらに砂が乾くため、足元は滑りやすくなる。このコンディションは、間違いなく清水に有利に働いた。2018年の浜松優勝者でもある清水は、砂入り人工芝でのプレー経験が豊富。対するガーランドにとって、今大会はキャリア2度目の砂入り人工芝である。
清水が覚えた手応えは、ガーランドには重圧として伸し掛かっていた。
「砂が乾くと、足元が滑りやすくなる。左右に振られた時に戻るのが難しくなり、逆にアヤノは、軽快に動けるようになっていた」
乾く足元、調子を上げていく清水のプレー、そして優勝への重圧。それらがガーランドの中で重なった時、試合の流れも反転する。第1セットをラブゲームで取った清水が、続くゲームを1ポイントも落とすことなくブレーク。その最後のポイントは、ガーランドのダブルフォルトだった。
「アヤノのリターンが良いので、プレッシャーを感じていた。風が強く、太陽がまぶしいことも要因ではあったが、一番はアヤノから感じる重圧だった」
第3ゲームをブレークバックしたガーランドだが、プレッシャーは試合が進むにつれ大きくなる。第2セットは、最終ゲームをブレークした清水の手に。優勝の行方は、ファイナルセットに委ねられた。
「最後のセットは、どっちに転がってもおかしくなかった」と、決勝後に両選手は口をそろえる。ただ清水にとって悔やまれるのは、最初のゲームを落とし、流れを途切れさせてしまったこと。逆にガーランドにしてみれば、幾分、精神的に楽になれただろう。
その後、清水も追いつくが、直後のゲームをブレークされたことが、この試合、最後のターニングポイントとなる。チャンピオンシップポイントは、サーブで崩し、バックのクロスへのウイナー。ガーランドが掴んだキャリア7つ目にして初の砂入り人工芝でのタイトルは、刻一刻と変化する状況への、高い適応力の証しでもあった。
決勝進出者の二人を称える、表彰式――。
“準優勝者”として先にマイクを握った清水は、「肘のケガから復帰して以来、これが初の決勝。優勝したかった……」と涙を流した。
表彰台の袖でその言葉を耳にしたガーランドは、「ああ」と小さく声をうなると俯き、共感の涙を浮かべる。自らも一昨年に手首をケガし、コートを離れるもどかしさを知るだけに、清水の想いが胸に迫ったのかもしれない。あるいは18歳だった4年前に、当時190位台だった清水に勝った記憶も、無関係ではないはずだ。まだランキング外だったガーランドは、その翌週に738位で世界ランキングデビューを果たす。ガーランドにとって4年前の清水戦は、ツアー選手としてのキャリアのスタート地点だった。
「やっぱり優勝したかった。純粋に、悔しかったですね」
涙の訳をそう語る清水は、「もうケガは言い訳にはできない。来年のウインブルドンかUSオープンの予選には出たい」と上を向く。
一方のガーランドは、「グランドスラム本戦で、常に戦える選手になりたい」と明言した。
4年前から立場を入れ替え、浜松で再戦した二人は、ここからは同じく、光の指す場所へと歩んでいく。