「大人への門出」

 この浜松ウイメンズオープンを、長年にわたり追って下さっている方ならば、あるいは、駒田唯衣の名を覚えているかもしれない。彼女は実は、昨年のワイルドカード選手権優勝者。だが残念ながら、本戦に出ることは叶わなかった。

 とはいえ、ケガなどの悲しい理由ではない。単に去年の彼女は、13歳だったため。ITF(国際テニス連盟)公認の国際大会に出られるのは、14歳以上。彼女はあまりに、早すぎたのである。

 その1年前の時点で、今年のワイルドカードがもらえるであろうことは、「なんとなく分かっていた」と駒田は慎重に言葉を選ぶ。去る6月10日に14歳の誕生日を迎えた彼女にとって、今大会は人生で初めて出場する、“大人”の国際大会だ。

 話を先に進める前に、駒田唯衣が、いかに同期で“無双”であったかに、簡単に触れておこう。

 2022年全国小学生大会優勝、同年の全日本ジュニア選手権12歳以下優勝。昨年は、全日本ジュニア選手権14歳以下を制している。

 それら総なめにした国内タイトルもさることながら、彼女が突出しているのが、海外での戦績だ。ジュニアの登竜門と呼ばれる、アメリカのエディーハー国際選手権で準優勝。オレンジボウルでは3位。今年は、14歳以下による国別対抗戦“ワールドジュニア・ファイナルズ”の日本代表にも当然のように選ばれ、単複で出場。ちなみにその時のダブルスパートナーは、今大会でも組んでいる、鈴木美波である。

 かくも順当にキャリアを疾走する駒田にとって、今年は変化の一年であり、多くの“初”を経験してきたシーズンでもある。

 春から地元の愛知県一宮市を去り、兵庫県のテニススクール・ノアを新拠点に構えた。ラケットも、同じバボラではあるが、モデルを変えた。それにともない、サーブを中心に、技術面にもメスを入れている。新たな環境は14歳の柔軟な器に、情報と刺激をなみなみと注いでいるようだ。

 本人はそれらを処理しながらも、時に、頭の回転にアウトプットが追いつかない様子。半年前に取材させてもらった時は、何を聞いても立て板に水で「これが13歳!?」と驚嘆させられたが、今回は一つひとつの質問に対し、「なんて言ったら良いんだろう」「難しいな……」と、言語化に苦労している様が見られた。そんな姿もまた、現在の充実度をうかがわせる。

 先に触れた「半年前の取材」も、個人的には思い出深かった。それは、大阪市内でテニス大会が開催されていた折り。知り合いのテニス関係者から「駒田唯衣が会場に来られるというが、取材したいか?」と問われたのだ。数年前から、彼女の名をよく耳にしていたが見たことはなかったので、「是非に」とお願いした。

 果たして会場に向かうと、彼女は大きなラケットバッグを背負い、ひょっこり現れた。保護者と一緒かと思いきや、「一人で来ました」とのこと。しかも、新拠点の神戸市からかと思いきや、「実家からです」と言う。新幹線とローカル線を乗り継いで2時間以上かかる道程を、単身日帰りで訪れたというのだから、二重に驚いた。

 さらには、大阪には何の用事で来たのかと聞くと、「取材のためです」と言うではないか!? まさか自分の取材を受けるためだけに、遠路ご足労頂くことになるとはつゆ知らず、恐縮するばかりである。ただこちらの狼狽とは対照的に、当の本人は「一人が好きなので」と涼しい顔。既に海外遠征も多く経験する彼女には、移動や単独行動も慣れっこなのだろう。ラケットバッグをかつぎ、すいすいと歩く背には、早くも一端の“ツアー選手”の風情が漂っていたことを、強い印象と共に覚えている。

 それから半年経ち、14歳となってプロのコートに立った駒田は、シングルス初戦で韓国のジャン・スジョンと対戦。ジャンは、今季はケガにも悩まされランキングを244位に落としてはいるが、昨年は82位につけていた実力者。そのジャン相手に駒田は、2-6、2-6で敗れた。

 試合前には「すごく緊張しています」と顔をこわばらせていた14歳は、試合直後には「2ゲーム取れて良かった」と、安堵の色を顔に灯す。「ストローク戦では戦える」との手応えも得たが、最も差を感じた点として挙げたのが、「サーブ」だ。

「すごく、サーブを練習しているんだろうな」

 自分に語り掛けるように、ふと彼女が言った。単純に「相手はサーブが良い」ではなく、「練習しているんだろうな」という解釈と言語化が、なんとも良い。練習は裏切らないと信じている、そんな人の言葉に響いた。

「ファーストサーブの確率が高いし、大切な場面でも、センターやワイドに、きっちり良いサーブが入ってくる。自分も、サーブ下手なので練習しなきゃいけないし、練習しないと、あそこまで確率よく入れることも、コースを突くこともできないと思うから」

 そう淡々と分析すると、駒田は「プロになったら、これくらいのサーブが普通になってくるのかな。自分も最近そういうサーブの練習をし始めたばかりだから、やっぱり、練習しているのかなって思って」と続けた。ネットの向こうに立つ、初めて対峙する経験豊かな、真の“プロ”。その姿に彼女は、自分の未来を見ていたのかもしれない。

 初の“大人”の国際大会出場は、一年の時を遡り、あの時の浜松から始まっていた。そして再びこの地を経て、ここから遥か、世界の頂きへと伸びていく。

© hwopen.jp / photo: Naoya Kadomura