9歳の少女が受け取った、トップテニス選手が繋いだ”ラリー” 浜松から生まれた小さく壮大な物語

 椅子に浅く腰を掛け、グッとコート側に身を乗り出して、食い入るようにプレーを見る。次の瞬間には、A4サイズのノートを広げて膝に置き、一心不乱に文字を書きつける。約1ヶ月後に10歳の誕生日を迎える塩見渚ちゃんは、兵庫県在住のテニス少女。

 その彼女が静岡県の浜松市に足を運び、年長者たちに混じって“強化練習会”に参加し、荒川晴菜vs澤柳璃子のエキシビションマッチを観戦するに至った起点には、一つのネット上の出会いがあった――。

 日本女子のエース・土居美咲と渚ちゃんをつなげたのは、“サウスポー”という共通項だ。「私がもともと好きだったのと、サウスポーということあって、渚も土居選手が好きになったんです」渚ちゃんの母親は、笑顔でそう説明した。その土居とオンラインで交流できる機会があると知った時、母親は迷わず申し込んだという。渚ちゃんが参加した、オンラインイベント……それが、浜松ウイメンズオープンが運営していた『ラリートーク』である。

 コロナ禍によるツアー中断中に始まったこの企画は、同大会に出場した選手を週替りで招き、Zoomで行うトークショウ。参加者たちもチャットなどを介し、選手に質問できる双方向性がウリだ。4月中旬に青山修子を初代ゲストに始まったラリートークは、出演者が次の選手を指名するのがルール。その青山に指名された第2回目のゲストが、土居だった。

 土居の回に参加した渚ちゃんには、左利きの大先輩に聞いてみたいことがあった。それが「サウスポーだからこそ身につける武器とは、なんですか?」その疑問が司会者を介して土居に伝わり、そして実際に、土居が答えてくれる。「アドサイド(コート左側)からワイドにサーブを打ち、相手の返球をオープンコートに打つのがサウスポーの武器になります」

 憧れの選手からの解答は、9歳の少女がコートに向かうモチベーションとなり、色んな選手に質問したいという向上心にも繋がった。その日から彼女は、土居に教わったポイントパターンを何度も練習し、ラリートークが行われる日曜日を心待ちにしたという。

 土居の回の翌週には大前綾希子にも質問し、「試合では全てをコートに置いてくることを心がけている」の言葉に胸を打たれた。コートでそれらの助言を実戦し、家ではゲスト選手のプレーをYoutubeで見るのが、日々の習慣になっていく。両親の目にはそんな娘の姿が、「今まで以上に楽しくテニスをするようになった」と映ったという。


 ラリートークに参加する渚ちゃんの存在は、当然、運営サイドの目にも止まっていた。毎回、無垢ながら深い質問をする渚ちゃんは、いつしかラリートークのアイドル的存在になっていたのだ。「渚ちゃんもテニスをやっているようだけれど、どんなプレーをするんだろう?」……そんな興味も、関係者の間で高まっていく。折しも、14回を予定していたラリートークも終盤に差し掛かり、その最終回に合わせ浜松でイベント開催を企画していた時分。

「このイベントに渚ちゃんを招待しようよ!」

 運営サイドから上がった声が本人に伝えられ、快諾の返事を得るまで、さしたる時間を要さない。かくして兵庫県に住む9歳の小柄な少女は、浜松市の強化練習会に参加し、荒川と澤柳による真剣勝負をベースラインの真後ろで観戦し、試合後にはその二人とボールを打ったのだった。3時間近くに及ぶ荒川と澤柳の熱戦が終わった時、渚ちゃん愛用の“テニスノート”には、2ページに渡りびっしり文字が書き連ねられていた。

 「どちらもフットワークが良い」
 「ミスしても弱いところを見せない」
 「澤柳さんは、アプローチショットと同じ方向でネットに出ている」

 メモの内容は、試合を見ながら気づいた両選手の心の動きや、戦術・技術面まで多岐に渡る。きっと兵庫に戻ったら、彼女はこのノートを見ながら、また練習に励むのだろう。もしかしたら、一緒にテニスをする友だちにも、教わったことや感じたことを伝えるかもしれない。憧れの土居に始まり、数々の選手から得た助言も思い返しながら……。

コロナ禍の間にも、スポーツの火を消さないために――。そのような願いから始まり、13人の選手たちで繋いできたラリートークのトーチは、間違いなく未来へと手渡された。

渚ちゃんと荒川選手
渚ちゃんと澤柳選手