シングルス準決勝 〇伊藤あおい 6-7, 6-2,6-2 荒川晴菜 

「あおいちゃんの攻略法は、分かっています」——。

 準決勝の対戦を翌日に控え、荒川は密かに、近い人にそう明かしたという。荒川と伊藤は、2022年にこの浜松ウイメンズオープンで初めてダブルスを組み、優勝。昨年は、やはりペアを組み準優勝。コート内外で多くの時間を過ごしたこともあり、性格からプレーのクセに至るまで、荒川は伊藤を熟知していたはず。それだけに、口をついた言葉だったのだろう。

 はたして試合が始まると、荒川は頭の中の策を具現化するかのように、ラケットとボールでコート上に戦略を描いていく。サーブは基本、伊藤のフォア狙い。そしてスライスで返ってきたリターンを、迷わずバックに打ち込んでいく。クロスラリーを避け、先にボールを散らし仕掛けるのは、常に荒川。この日の試合では、伊藤は幾度も足を滑らせコートにうつぶせになったが、それは伊藤曰く、「荒川さんが、逆をつくのが上手すぎる」ため。第1セットは、タイブレークの末に荒川の手に。ただ全体の流れやムードとしては、スコア以上に荒川優勢。事実、第2セットではいきなり荒川がブレークし、2-0とリードした。

 試合後の伊藤は、本音かフェイクか、「あの時点で、もう負けたと思いました」と言う。同時にその諦めにも似た心境が、「打っていこう」と切り変えられる要因にもなった。

「ラリーを続けたら、転んで終わる。自分から打っていかなきゃ」

 そこからの伊藤のプレーは、最近の彼女のプレーハイライトなどを見た人にとっては、意外に映ったかもしれない。代名詞となったフォアのスライスは封印し、強打する場面が増える。特にフォアにきた相手サーブは、ストレートに狙いすまして打ち返し、ウイナーを奪いもした。

 実は伊藤からしても、「サーブではフォアを、ラリーはバックに振ってくる」のは、”伊藤攻略法“の定石であり、想定内。”プランB“発動の準備は、いつでもできていたのだろう。

 特に本人がターニングポイントにあげたのが、「第2セットで、3-2にしたゲーム」。ゲームカウント2-2での相手サービスゲームで、伊藤はストレートへのフォア、そしてバックの超アングルショットでもウイナーを決め、このゲームをブレークする。荒川からしてみれば、浅いボールと深いコースの両方をケアするのは、精神的にも削られる状態。このゲームを機に試合を支配しはじめた伊藤が、最後はサービスエースで試合を決めたのも象徴的だった。

試合を終えた直後の荒川の第一声は、「頭が疲れた!」。この言葉が、これ以上ないほど端的に、この一戦の醍醐味を表現していただろう。

 実は伊藤は、一週間前に浜松入りした時、今大会のテーマを「フォアで打っていくこと」と明言していた。フォアは大会によって「スライスが良い時と、打った方が良い時がある」。そして「今はフォアを上げたい時期」だと言うのだ。シーズンの流れを見据えたテーマ設定と、試合の中で柔軟かつ精緻に組み立てられる戦略。荒川という“波長の合う”好敵手との熱戦は、伊藤あおいというテニスプレーヤーの真髄の、見本市のようでもあった。

© hwopen.jp / photo: Yoshiteru Nagahama