「プロとして」——。

 この夏は彼女にとって、旅立ちの季節だった。

 ひとつは、住む町や、練習環境が変わった。兵庫県に生まれ育った西村佳世が、これまで拠点としたのは、実家に近い“Ai Love All Tennis Academy”。元世界47位の中村藍子と、ツアーコーチ経験豊富な古賀公仁男が立ち上げたアカデミーで、4年前から腕を磨いた。その彼女が、今師事するのは、元世界40位の森田あゆみと、その長年のコーチである丸山淳一。森田は昨年秋に引退したのを機に、師と共に指導者としての道をあゆみ始めたばかり。西村はこの7月から、その真新しい環境に身を置いている。ただ高校の授業もあるため、定期的に兵庫県にも戻る日々。そう、彼女はまだ高校3年生。その卒業を待たず9月にプロ登録を終えたのは、世界で戦う覚悟の表れだろう。

 一般的に、プロを視野に入れるトップジュニアたちは、高校進学の時点で通信制高校等に籍を置きがち。ただ西村は、地元の一般の高校に進学した。理由はシンプルに、「当時はまだ、プロになる覚悟が全然できていなかった」から。中学時代の最高戦績は、3年生時に記録した全日本ジュニアのベスト4。同期の層が厚かったこともあり、日本一のタイトルとは無縁だった。

 その西村がキャリア初の全日本タイトルを手にしたのは、昨年末のクリスマスの日。ジュニアや高校もすっとばして、プロも参戦する“全日本室内選手権”で頂点に立った。ただこの時点でもまだ、「大学進学の方が、選択肢として大きかった」と振り返る。最終的にプロになると決めたのは、今年5月。富山開催のITF W15大会で、一つのセットも落とすことなく、国際大会で初優勝した時だった。

 小柄ながらエネルギッシュにコートを駆けまわる西村は、一球でも多く相手コートにボールを返す粘り強さと、配球の妙で相手を崩す戦略性を武器とする。

 ただ、中村や古賀たちからは、「もっとベースラインから下がらず、自分から攻めること」を常に助言されていたという。

 当の西村としても、より上に行くためには、攻撃力獲得は不可欠と実感していた。ただ、試合になるとミスを恐れ、どうしても安全策を取りがちになる。

「自分でも変えなくてはと思っていたけれど、以前のプレーで勝ててしまっていることもあって……」

 やや、こそばゆそうに、西村が言う。「古賀コーチたちとは長くやっていたこともあって、甘えていたというか、言われ慣れていた部分もあると思います」。

 だから彼女は、プロ転向を心に決めたと同時に、地元を、実家を、そして通い慣れた西宮市のアカデミーからも巣立った。自ら退路を断つ行動そのものが、言外のプロ宣言だとも言えるだろう。

 目指すテニスの実践度は、まだ試合や大会によって変わりはする。ただ今回の浜松ウイメンズオープンでは、予選3試合とも手応えのある試合で勝利を掴み、本戦出場を決めた。

 伏線にあったのは、先週の牧之原大会。初戦敗退を喫した時、森田コーチから「もっと前に入っていくテニスをできないと、ここから先は見えないよ」と、ピシャリと言われたという。

 ちなみに森田自身も、16歳だった2006年に、浜松大会に出場。その時はやや不甲斐ない内容で初戦敗退を喫し、「丸山コーチに怒られて、浜名湖の周りを1時間半くらい走っていました」と苦笑いした。

 そんな、自身のコーチの苦い思い出も染み込む大会で、“プロ”西村が欲するのは、単なる勝ち星ではない。コーチ同様、いつの日か「グランドスラム」で活躍すべく、より高次のプレーで世界への足掛かりをつかみ取りにいく。

© hwopen.jp / Photo: Taketoshi Kurebayashi