「初めて目にした、あの景色の先へ——」
「会場での過ごし方が、無駄がない」、「自信を持ってコートに立っていることが、プレーからも分かる」
彼女の姿を見る関係者たちから、そんな声が多く聞かれた。大会第7シードの、山口芽生についての評価である。
実際に山口は、今大会でも一つのセットを落とすことなく、強さを示してベスト4へ。迷いなきプレーには、一本の軸が通っている。
「本当に最近になって、攻めていかなきゃ勝てないってことに気が付いたんです」
そう山口本人が、“気づき”の時とテニスの変遷を、明瞭に紐解き始めた。
山口のテニスといえば、コートを跳ねるように駆け、小気味よく強打を打ち込んでいくという印象が強かった。
そのプレーに、最初の変化が訪れたのが、昨年の春。ITF W25の甲府大会に出場した時、「これまでやってきたテニスでは勝てない」との思いに襲われたという。
「それまでは、全部のボールを打たないと勝てないって思ってたんです、その時は、それがうまくいかなくて。やっぱり打つだけじゃ勝てないと思って、そこからは相手を走らせたり、いろいろ工夫しながらやってた時期が、結構長くあったんです」
自分のプレーに集中しがちだった彼女が、相手を研究し、対人ゲームとしての戦略性や心理戦の妙を体得したのが、この時期だったのだろう。その成果は、650位前後だったランキングが、一年半後には400位を切るまでに上がった数字にも現れる。
そうして今年8月には、WTAツアーの東レパンパシフィックオープン(東レPPO)予選ワイルドカード選手権を兼ねた、毎日テニストーナメントで優勝。ちなみに決勝で山口が破った相手は、先のジャパンオープンベスト4入りを果たした、伊藤あおいである。
実は山口はその後、さらにランキングを上げ、自力で東レPPOの予選入りが可能な地位までに至っていた。ただ今になって振り返った時、ここで東レPPO予選出場を確定させたことは、彼女のキャリアにとって大きなターニングポイントとなる。
予選とはいえ、WTAツアーの中でも高いカテゴリー大会に出られることに、さぞワクワクしていただろう——そう思い本人に尋ねてみると……。
「YouTubeでWTAの試合を見まくったりしましたが、自分のテニスが通用するのか、それとも、力不足を思い知らされるのかと考えて。3ヶ月間くらい『どうにかしよう、しないとダメだ』と思って練習していたので……わくわくっていう感じではなかったんです」
苦味交じりの笑みを浮かべ、山口が振り返る。期待より、不安がやや上回る日々。それでも東レPPOの出場が決まっていることで、普段ならオーストラリアのITF大会に向かっていたところを、日本に留まり、ジャパンオープンが開催される大阪へと向かった。ランキング的に、予選に出ることが難しいだろうことは、分かっている。それでも会場に居れば試合も見られるし、ツアーレベルの選手と練習もできるからだ。
そして、大阪に着き最初に行なった練習で、彼女は、衝撃を受ける。
「タイのマナチャヤ・サワンケーオという選手と練習させてもらったんです。彼女とは去年対戦していて、その時は負けはしましたが、普通にラリーできていたんです。
でも久しぶりに打ち合ったら、まったく、スピードについていけなかった。彼女も最近WTAツアーに出て、(世界1位の)サバレンカとも試合していたんです。だから強くなってるんだろうなと思ったんですけど、予想以上でした。打つテンポから球のスピードまで、本当にすべてが格段にレベルアップしていた。ポイント練習になったら、先に展開されて決められちゃう。『あぁ、これじゃあWTAでは戦えないんだな』って、そこですごい衝撃を受けたんです」
サワンケーオは、現在世界134位の22歳。以前は互角だったその相手の急成長に、山口は「大きな気付き」を得たという。
その気付きはあるいは、状況が異なっていたなら別の形でアウトプットされたかもしれない。ただこの時の山口には、一週間後には確実にWTAツアーのコートに立つという、逃げ場のない切迫感があった。
“攻めなくては、やられてしまう!”——背水の陣にも似た覚悟を胸に、その後の練習で山口は、腕を振るい、ボールを強打して、攻めに攻めてみた。すると自分のプレーに、彼女は軽い衝撃を覚えたという。
「意外と、上手くなってるじゃん⁉」
それは、”攻めるのが楽しい“というテニスに恋した原初体験と、この1年半ほどの「相手を研究し工夫していた」テニスが、高次で融合した瞬間。心技体がカチリと噛み合う音を、この時、彼女は聞いたのだろう。
何かが変わった予感を確信に変える機会は、幸いにもすぐ訪れる。東レPPOの予選では、自身よりランキング上位の加治遥と清水映理に連勝して、本戦へ。そうして本戦初戦では、2019年全米オープン優勝者のビアンカ・アンドレスクと対戦。5-7,3-6の敗戦から「打ち合うことはできる」との自信と、「全体の試合を見る力は、ビアンカの方が全然上」との気付きを持ち帰った。
さらにはその翌週でも、山口は香港開催のツアー大会で予選を突破し、本戦初戦では2020年全豪オープン優勝者のソフィア・ケニンと対戦。僅か一週間で、二人のグランドスラム優勝者と対峙した山口は、「最高の経験でした!」と、目をキラキラと輝かせた。
「ずっとツアーを周れたら、もう最高だなって思って。今回気が付いたのは、負けるのが嫌なんじゃなくて、明日の試合がなくなることが嫌なんだなって。この、全てを懸けてやっている緊張感の中で、ずっとテニスしていたいなって思いました。もう、それしかないです」
そう語る口調と表情からも、ほとばしる喜びと充実感。
「上手くいかないこともあったけれど、テニスやってきて、本当に良かったなって思います」
戦うたびにキャリア最高位を更新中の25歳は、顔中に笑みを広げた。
WTAツアー本戦の舞台に立つことで、初めて目にした輝かしい景色と、明確となった目的地。
その地に再び立つために、彼女は浜松に来た。
「やっぱり欲しいのは、優勝の35ポイント。ただ舞台がどこでも、自分のやることは変えちゃいけないと思っているし、そこだけは、ブレないようにしたいですね」
目指すは目先の勝利以上に、手のひらに感触を残した「WTAツアーで通用するプレー」を貫くこと。
「その結果として、優勝して35点が取れたら、最高かな」
そう言い彼女は、静かに笑った。